旭川地方裁判所 昭和56年(ワ)287号 判決 1986年1月30日
第二八七号事件原告
川原幸雄
ほか三名
被告
共立運輸株式会社
ほか一名
第二八八号事件原告
遠藤政幸
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、連帯して、原告川原幸雄に対し金九一万九八七〇円、原告川原文子に対し金三七九万八五六二円、原告精進義明に対し金四八七万五三六三円、原告高橋和男に対し金一五二万四六六五円、原告遠藤政幸に対し金一五〇一万二一二六円及び各原告に対し金一五〇一万二一二六円及び各原告に対し右各金員に対する昭和五四年七月二八日から各支払ずみまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
原告らは、次の交通事故(以下「本件事故」という)によりそれぞれ傷害を受けた。
(一) 日時 昭和五四年七月二七日午後三時三〇分頃
(二) 場所 虻田郡留寿都村三ノ原六四番地先の国道二三〇号線上(以下「本件事故現場」という)
(三) 加害車両 大型貨物自動車(室一一あ三二二二)(以下「被告車」という)
運転者被告尾形弘孝(以下「被告尾形」という)
(四) 被告車両 (1)普通乗用自動車(旭三三さ一二八四)(以下「秋雄車」という)
運転者訴外川原秋雄(以下「秋雄」という)
同乗者原告川原幸雄、同川原文子、同精進義明、同高橋和男
(2)普通貨物自動車(旭四四た七九〇八)(以下「遠藤車」という)
運転者原告遠藤政幸(以下「原告遠藤」という)
(五) 態様 (1)被告尾形は、被告車を運転して本件事故現場を留寿都方面から虻田方面に向かつて進行し、原告側は対向車線上を秋雄運転の秋雄車を先頭に訴外精進義美運転の普通乗用自動車、原告遠藤運転の遠藤車の順序で本件事故現場を虻田方面から留寿都方面に向かつて走行していた。
(2)被告尾形は、本件事故現場が追越禁止区域であつたにも拘らず先行車である訴外石沢文規運転の普通乗用自動車を追越そうとして被告車を道路中央線を越えて対向車線に侵入させ、しかも制限速度毎時五〇キロメートルを超過したうえ前方注視を怠つた過失により、対向車線上の秋雄車の前部に被告車を正面衝突させた。
(3)被告尾形は、秋雄車との右衝突により被告車の右側前輪Uボルトが折損しハンドル操作の自由を失つたのであるから、直ちに適正な制動操作をすべきであつたのにこれを怠つた過失により、対向車線上に急制動して停車していた遠藤車の前部に被告車を衝突させた。
(六) 結果 本件事故によつて原告川原幸雄は頸部捻挫、胸部挫傷、原告川原文子は脳挫傷、肋骨骨折、原告精進義明は頭部打撲、肋骨骨折、原告高橋和男は脇骨骨折、左肩関節捻挫、原告遠藤は左下腿開放骨折の各傷害を受けた。
2 責任原因
被告らは、次の理由により、本件事故により生じた原告らの後記3の損害を連帯して賠償する責任がある。
(一) 被告共立運輸株式会社(以下「被告会社」という)は、被告尾形を使用し、同被告がその業務を執行中前記1、(五)の過失によつて本件事故を発生させたのであり、かつ被告車を所有し自己のために被告尾形に同車を使用させて運行の用に供していたものであるから、民法七一五条一項、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)三条による責任がある。
(二) 被告尾形は、本件事故の発生につき前記1、(五)の過失があつたのであるから、不法行為者として民法七〇九条の責任がある。
3 損害
(一) 原告川原幸雄
(1) 治療費 金二〇万七一二〇円
但し、(イ)入院費 金一二万七〇五〇円(入院期間昭和五四年七月二七日から同月三〇日まで)
(ロ)通院費 金七万八〇七〇円(通院期間昭和五四年七月三一日から同年一〇月四日まで)
(ハ)雑費 金二〇〇〇円(一日につき五〇〇円の入院期間四日分)
(2) 休業補償 金五二万〇〇八四円
但し、休業一か月につき金二二万七〇七九円(昭和五四年の男子六二歳の年齢別平均給与額)の割合による休業日数七〇日分(昭和五四年七月二七日から同年一〇月四日まで)
(3) 入・通院慰謝料 金一九万二六六六円
但し、入院期間四月間、通院期間六六日間の慰謝料、合計金九一万九八七〇円
(二) 原告川原文子
(1) 治療費 金七一万二七六〇円
但し、(イ)入院費 金五七万六八四〇円(入院期間昭和五四年七月二七日から同年八月八日まで)
(ロ)通院費 金一一万五四二〇円(通院期間昭和五四年八月九日から同年一一月八日まで)
(ハ)雑費 金六五〇〇円(一日につき五〇〇円の入院期間一三日分)
(ニ)看護費 金一万四〇〇〇円(一日につき二八〇〇円の五日分)
(2) 交通費 金四万九七四〇円
但し、通院治療のための交通費
(3) 休業補償 金五三万六〇六二円
但し、休業一か月につき金一五万七八六五円(昭和五四年の女子五六歳の年齢別平均給与額)の割合による休業日数一〇四日分(昭和五四年七月二八日から同年一一月八日まで)
(4) 入・通院慰謝料 金四一万円
但し、入院期間一三日間、通院期間九二日間の慰謝料
(5) 後遺障害慰謝料 金二〇九万円
但し、後遺障害一二級により算定した額、合計金三七九万八五六二円
(三) 原告精進義明
(1) 治療費 金一四三万六一六五円
但し、(イ)入院費 金一〇三万一三五二円(入院期間昭和五四年七月二七日から同年一〇月二〇日まで)
(ロ)通院費 金九万七〇一三円(通院期間昭和五四年一〇月二一日から昭和五五年六月二四日まで)
(ハ)雑費 金四万三〇〇〇円(一日につき五〇〇円の入院期間八六日分)
(ニ)看護費 金二六万四八〇〇円(一日につき二八〇〇円の入院期間八六日分、一日につき三〇〇〇円の通院期間八日分)
(2) 交通費 金八万五一二〇円
但し、通院治療のための交通費(本人分四万五一二〇円、付添人分四万円)
(3) 休業補償 金二四八万九〇七八円
但し、休業一か月につき金二二万七〇七九円(昭和五四年の男子六二歳の年齢別平均給与額)の割合による休業日数三三四日分(昭和五四年七月二七日から昭和五五年六月二四日まで)
(4) 入・通院慰謝料 金八六万五〇〇〇円
但し、入院期間八六日間、通院期間二四八日間の慰謝料、合計金四八七万五三六三円
(四) 原告高橋和男
(1) 治療費 金一一万七〇七九円
但し、(イ)入院費 金六万三八一八円(入院期間昭和五四年七月二七日から同年八月一七日まで)
(ロ)通院費 金四万二二六一円(通院期間昭和五四年八月一八日から同年一〇月二七日まで)
(ハ)雑費 金一万一〇〇〇円(一日につき五〇〇円の入院期間二二日分)
(2) 交通費 金一万三二〇〇円
但し、通院治療のための交通費
(3) 休業補償 金一〇五万四三八六円
但し、休業一か月につき金三五万一四六二円(昭和五四年の男子五二歳の年齢別平均給与額)の割合による休業日数九二日分(昭和五四年七月二八日から同年一〇月二七日まで)
(4) 入・通院慰謝料 金三四万円
但し、入院期間二二日間、通院期間七一日間の慰謝料合計金一五二万四六六五円
(五) 原告遠藤
(1) 治療費 金三〇二万七二四〇円
但し、(イ)入院費 金二七七万〇九一〇円(入院期間昭和五四年七月二七日から昭和五五年五月二七日まで、昭和五六年二月一六日から同年三月五日まで)
(ロ)通院費 金九万四三三〇円(通院期間昭和五五年五月二八日から昭和五六年六月二三日まで)
(ハ)雑費 金一六万二〇〇〇円(一日につき五〇〇円の入院期間三二四日分)
(2) 交通費 金一万八四八〇円
但し、通院治療のための交通費
(3) 休業補償 金五九一万七七五一円
但し、休業一か月につき金二八万五九五六円(昭和五四年の男子三二歳の年齢別平均給与額)の割合による休業日数六三〇日分(昭和五四年七月二七日から昭和五六年四月一六日まで)
(4) 入・通院慰謝料 金一三三万円
但し、入院期間三二四日間、通院期間二一四日間の慰謝料
(5) 後遺障害慰謝料 金七四万円
但し、後遺障害(歩行の不自由)一二級により算定した額
(6) 後遺症による逸失利益 金五一七万八六五五円
但し、後遺障害が今後五年間継続するものとし、その間の労働能力喪失率は四〇パーセントとする。
249,200円(全年齢平均給与額)×12(か月)×40/100(労働能力喪失率)×4.3294(労働能力喪失期間5年のライプニツツ係数)≒5,178,655円
合計金一六二一万二一二六円
(7) 原告遠藤は、昭和五五年四月七日、本件事故による損害のうち金一二〇万円を強制保険より支払を受けた。
4 結論
よつて、被告らに対し、原告川原幸雄は金九一万九八七〇円、原告川原文子は金三七九万八五六二円、原告精進義明は金四八七万五三六三円、原告高橋和男は金一五二万四六六五円、原告遠藤は金一五〇一万二一二六円の各損害金と右各金員に対する本件事故発生の日の翌日である昭和五四年七月二八日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1のうち、冒頭及び(一)ないし(四)の事実、(五)の(1)の事実、(五)の(3)の前段の事実は認める。(五)の(2)の事実及び同(3)の後段の事実は否認する。(六)の事実は知らない。
2 同2のうち、使用関係及び車の保有関係は認めるが、その余は争う。
3 同3のうち、(五)の(7)の事実は認めるが、その余は知らない。
4 同4は争う。
5 事故態様に関する被告らの主張
被告尾形は、直線から緩やかなカーブに差しかかる本件事故現場を道路の形状に従つて進行していたところ、秋雄車は、カーブから直線に向かう対向車線上を緩やかに進路を変えるべきであつたのにそのまま直進して道路中央線を越えて被告車の進路上に侵入し被告車に衝突したものであり、被告尾形は右衝突を回避しえなかつたものであるから、同被告には過失がない。
また、被告尾形は、右衝突の際被告車のブレーキを踏んで適正な制動操作をしたが、右衝突によつて被告車の右側前輪Uボルトが破損しハンドル操作が不可能となつたため被告車は対向車線に侵入して路外に前部を出した格好で停止した直後に遠藤車が被告車に衝突したものであるから、この点についても被告尾形には過失はない。
三 抗弁
事故態様に関する被告らの主張のとおり、本件事故の発生について被告尾形には運転上の過失はなく、本件事故の発生はひとえに秋雄の過失によるものである。また、被告会社には運行供用者としての過失はなかつたし、被告車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつたのであるから、被告会社は自賠法三条但書により免責される。
四 抗弁に対する認否
否認する。
第三証拠
本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因のうち次の事実は、当事者間に争いがない。
1 被告尾形は、昭和五四年七月二七日午後三時三〇分頃、虻田郡留寿都村三ノ原六四番地先の国道二三〇号線上(本件事故現場)を被告車を運転して留寿都方面から虻田方面に向かつて進行し、原告側は対向車線上を秋雄運転の秋雄車を先頭に訴外精進義美運転の普通乗用自動車、原告遠藤運転の遠藤車の順序で本件事故現場を虻田方面から留寿都方面に向かつて走行していた際、まず被告車と秋雄車が、次いで被告車と遠藤車が衝突するという本件事故が発生し、これによつて原告ら(原告遠藤を除くその余の原告四名は秋雄車に同乗していた)がそれぞれ負傷した。
2 被告尾形は、秋雄車との右衝突によつて被告車の右側前輪Uボルトが折損したため、被告車のハンドル操作の自由を失つた。
3 被告会社は、被告尾形を使用し、同被告がその業務を執行中に本件事故が発生し、かつ被告会社は、被告車を所有し自己のために被告尾形に同車を使用させて運行の用に供していた。
4 原告遠藤は、昭和五五年四月七日、本件事故による損害のうち金一二〇万円を強制保険により支給を受けた。
二 成立に争いのない甲第三号証の一、第六号証の一、乙第一、第二号証、第一三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六ないし第八号証、第一六号証、証人堀内数の証言により真正に成立したと認められる乙第二三号証、本件事故現場及び事故車の写真であることについて争いのない乙第九号証の一ないし一六、第一一号証の二ないし三〇、第一二号証の一ないし八、第一八号証の一ないし一六、第一九号証の一ないし二三、証人井原勝行(一部)、同精進義美、同石沢修、同米山義昭、同水野弘道の各証言、原告川原幸雄、被告尾形弘孝(一部)の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
1 本件事故現場付近の国道二三〇号線は、緩やかな弧を描いた平坦なカーブであり、路面はアスフアルト舗装され、幅員は約七メートルで、路上に中央線が引かれ、制限速度毎時五〇キロメートル、追越禁止区域に指定されており、本件事故当時前方の見通しは良好であつた。右カーブの外側(虻田方面に向かつて左側)は畑、内側(同方面に向かつて右側)は草原であり、道路際には低木や雑草が繁茂していた。
2 秋雄は、秋雄車の前部助手席に原告川原文子を、後部座席の右側に原告精進義明を、中央に原告川原幸雄を、左側に原告高橋和男を同乗させて右カーブの内側車線を時速毎時約五五ないし六〇キロメートルの速度で走行して本件事故現場付近に差しかかつた。
3 訴外石沢文規は、喜茂別町から被告車の直前の先行車として普通乗用自動車に弟石沢修を乗せて虻田方面に向かつて走行してきたところ、被告尾形は、その途中石沢車が速度を落したときに同車を追い立てるようにして被告車を同車に接近させたり、追越態勢を示したことがあつたため、石沢兄弟は被告車の走行に危険を感じていた。
4 訴外水野弘道は、定山渓から被告車の直後の後続車として貨物自動車を、訴外米山義昭は留寿都村五ノ原から水野車との間に一台の乗用車を挟んで被告車より三台目の後続車として大型貨物自動車を、被告尾形は被告車をそれぞれ運転して前記カーブの外側車線を時速毎時約五五ないし六〇キロメートルの速度で走行して本件事故現場付近に差しかかつた。
5 秋雄車と被告車は、本件事故現場においてそれぞれの前部をやや斜めの状態で衝突し、秋雄車はその衝撃により自車前部、特に前部右側部分を大破し、衝突後自車走行車線上を押し戻されて停止した。
被告尾形は、右衝突の直前に衝突を避けるため被告車のハンドルを左方向に切り、かつブレーキを踏んで制動操作を施したが、右衝突によつて被告車の右側前輪Uボルトとギヤボツクスが破損しハンドル操作が不可能となつたため、被告車は一旦走行車線を左前方へ進行した後斜め右方向へ進路を変え対向車線に侵入して、同車線上で急制動をかけていた遠藤車の前部に被告車の左前部を衝突させたうえ、自車前部を路外に突き出した格好で停止した。
なお、秋雄は、本件事故による受傷のためその後死亡した。
6 本件事故現場には被告車の走行車線内の道路中央線から約五〇センチメートルの地点に擦過痕が残されていたが、右擦過痕は本件事故の衝撃によつて秋雄車の右車輪側のバンパー、ホイール、フエンダー、サスペンシヨンなどが路面を擦過して生じた可能性がある。
7 本件事故現場付近の両車線上には秋雄車及び被告車の前照灯等の細かいガラスの破片が散乱していた。
8 原告らは、本件事故後、秋雄車が道路中央線を越えて対向車線に侵入して被告車に衝突したことを前提に自賠責保険金の請求手続及び北海道共済連に対する事故報告をした。
9 被告会社は、昭和五四年五月一一日自動車整備工場において被告車の点検整備を受けるなど被告車の運行に関して注意を怠つていなかつた。また、被告車には本件事故当時構造上の欠陥や機能の障害がなかつた。
以上の事実が認められ、証人井原勝行の証言及び被告尾形の本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
三 次に、本件事故の発生原因について判断する。
1 原告らは、被告尾形が先行車を追越そうとして被告車を道路中央線を越えて対向車線に侵入させ同車を秋雄車の前部に衝突させた旨主張し、右主張事業に沿う証拠として、証人精進義美の証言、成立に争いのない乙第四号証の二(同証人作成の証明書)、同号の三(同証人の事情聴取書)、証人石沢修の証言、成立に争いのない甲第七号証(石沢文規作成の証明書)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六号証(自賠責共済事故調査報告書)の石沢文規、石沢修の各供述記載部分、原告本人川原幸雄の供述、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第七号証(自賠責共済事故調査報告書)の同原告の供述記載部分、成立に争いのない乙第五号証の一(原告高橋和男作成の証明書)がある。
これに対し、被告らは、秋雄車がカーブから直線に向かう本件事故現場を進路を変えずに直進して道路中央線を越えて被告車の進路上に侵入し被告車に衝突したものである旨主張し、右主張事実に沿う証拠として、証人米山義昭の証言、乙第六号証の同証人の供述記載部分、証人水野弘道の証言、同号証の同証人の供述記載部分、成立に争いのない乙第二一号証の一(同証人作成の照会回答書)、被告本人尾形弘孝の供述、乙第七号証の同被告の供述記載部分がある。
2 そこで、右各証拠中の本件事故発生及びその直前の状況に関する部分を彼此対照してその信用性について検討を加える。
(一) まず、証人米山義昭は、被告車より三台目の後続車として大型貨物自動車を運転していた際本件事故を目撃した者であるが、「クラウン(秋雄車)が少しセンターラインに寄つて来た。ちよつと右にふれて入つてきた。被告車はセンターラインから大体五〇―六〇センチメートルは離れていたと思う。事故地点は私達のほうの車線である」旨証言し、乙第六号証では北海道共済連の調査者に対し、「対向進行して来たクラウン(秋雄車)が被告車と交差する直前くらいにセンターラインを越えて斜めに突つ込んで来るのが見えた。被告車がセンターラインを越えた事実は絶対ない。自車に設置してあつた無線により警察への事故通報を手配した」旨供述している。
(二) 次に、証人水野弘道は、被告車の直後の後続車として貨物自動車を運転していて本件事故を目撃した者であるが、「クラウン(秋雄車)が飛びでてきた。クラウンがセンターラインを越えてきたように見えた。被告車が事故の直前にセンターラインをはみ出した記憶はない。被告車は中心線ぎりぎりの線で走つていたと思う。センターライン寄りを走つていたような記憶がある」旨証言し、乙第六号証では「本件事故現場となつたカーブに差しかかつた際対向進行して来た乗用車(秋雄車)がカーブを曲がり切れないような状態で我々の進行する路線へ進入して来る(既にセンターラインをまたいでいた)のが目に入り、「ああ!衝突する」と感じた。センターラインをはみ出したのは乗用車(秋雄車)の方であり、ミルクローリー(被告車)の側は正常に走行していた」旨述べ、乙第二一号証の一では被告ら代理人に対し、「被告車はセンターラインをオーバーしていない。秋雄車がセンターラインをオーバーしていた。秋雄車は曲りカーブの所でカーブを曲りきれずにセンターラインを越えたと思う」旨回答している。
(三) 右米山、水野両証人は、いずれも乗用自動車と比べて運転席の高い貨物自動車を運転して本件事故現場付近まで被告車に追随してきており、当時本件事故現場付近の見通しは良好であつて被告車の走行上の異常の有無及び本件事故発生の模様を正確に目撃できる状況にあつたものであり、かつ右両名は、本件当事者である原告ら及び被告らと何ら利害関係のない第三者であつて当事者の一方のために殊更真実に反して有利又は不利な証言や供述をする理由は存しないから、右両名の証言や供述記載部分の信用性は極めて高というべきであり、これに符合する被告本人尾形弘孝の供述及び乙第七号証の同被告の供述記載部分も本件事故に関する部分について不自然な点や不合理な点は見い出し難く、その信用性を肯定することができる。
(四) 一方、証人精進義美は、秋雄とは仕事仲間であり秋雄車の直後の後継車を運転していた者であるが、「大型車(被告車)を見て追越の態勢というか見た感じで危ないなと思つた。中心線寄りに被告車が出てきたように見えた。しかし、被告車が中心線を越えたかどうかは分からない。感じとしては中心線を通り越すというふうに感じた」旨証言したが、証人井原勝行の証言によれば、精進義美は、実況見分時あるいは捜査段階では警察官に対して「カーブに差しかかつた際秋雄車が急に右に出るのが分かつたのと同時に被告車とぶつかつた」旨供述していたことが認められ、乙第四号証の三では「前を走つていたクラウン(秋雄車)が急に右へフアツと入つて行つたように見え、同時に大型車(被害車)と衝突した」と述べた後、「被告車は先行車を追越そうとして又はスピードを出しすぎて先行車に追突しそうになり右へかわしてセンターラインをはみ出し衝突した様に思う」とも述べて前後一貫しない供述をしている。
(五) 次に、証人石沢修は、同証人の兄石沢文規が運転していた被告車の直前の先行車(乗用車)の助手席に乗用していた者であるが、「被告車は、本件事故前に何回も追越禁止区間で中央線をはみ出して追越をかけたり異常接近してくるので危険を感じており、本件事故があつたときはついにやつたと思つた。秋雄車と擦れ違つた直後に本件事故が発生したが、衝突を目撃はしていない。事故直前の被告車がどうだつたかは直接見ていないので、被告車が中央線を越えていたかどうかについては何とも言いかねる」旨証言し、石沢文規は、甲第七号証で「私が事故地点通過の際、後進車の被告車は車間距離が一〇メートル位に接近しており、中心線上ないし対向車線上を走行していたように思う。被告車は私の車両を追越す体勢にあつたと考える」と記載している。また、右両名は、乙第六号証で「衝突の瞬間を現に目撃した訳でもなく、またミルクローリー(被告車)がセンターラインを超えた事実を実際に自分の目で確認した訳でもない」旨述べた後、石沢文規は、被告車の衝突直前の動向について、「被告車はカーブに差しかかる直前に自車の追越を試み、一旦グツと自車に接近し右へはみ出した。然し、対向進行してきたクラウン(秋雄車)を発見したためか追越を断念し左側車線へ戻りかけた。後は直接見ていないが恐らく完全に自車線に戻つたか、あるいは戻りつつある途中(まだ右側へはみだした状態が続いている)か極めて微妙な状態の中で事故が発生した」と表現を変えている。しかし、石沢修は、右の点について「被告車がはみ出し運転したのは事故の起こる何秒か前だと思う。カーブに差しかかるずつと前である。ずつと前と言つても少しであるが前である」と被告車が追越をかけた地点について石沢文規の供述とややニユアンスの異なる証言をしている。なお、右両名とも被告尾形の走行方法に危険を感じ同被告に対し悪感情を抱いていたこと及び本件事故が自車の後方で発生したため事故の瞬間を直接目撃していない点においては共通している。
(六) 原告本人川原幸雄は、秋雄の兄であり秋雄車の後部座席の中央に乗車していた者であるが、乙第七号証では「かなり前方に被告車を確認していた。確認した時からいやにセンターライン寄りを走行しているなと思い身をのりだした。衝突地点のカーブでは対向車(被告車)が急にこちらの方に入つてきた様な気がしたので危ないと思つた」旨述べていたが、原告本人尋問においては「衝突した地点は私らの進行車線内で中心線から七〇センチメートルくらい内側である。対向車(被告車)はごく近くなつてから急にクラウン車(秋雄車)に向かつて来て、外側にそれるようにハンドルを切つた所でぶつかつた。被告車を実際見たのはかなり近くになつてからである」旨供述し、被告車を確認した地点についての供述を変更している。前認定のとおり、本件事故現場付近は見通しが良く、かなり前方に対向車を確認することはできたが、道路がカーブしており道路際には低木や雑草が繁茂していたので前方の対向車が道路中央線を越え又は中央線寄りを走行しているかどうかの確認はできない状態にあつた。また、乙第七号証及び原本の存在と成立に争いのない乙第二〇号証によれば、同原告は、警察及び他の同乗者の意見が事故の状況から秋雄車がセンターラインを越えて被告車に衝突したということであつたので、当初はそれに従いその旨の事故発生報告書を作成したが、同原告は被告車がセンターラインを越えてきたように見えたのでその旨警察にも話し、事故発生報告書も作成しなおしたが、同原告の意見は警察では採用されなかつたことが認められる。
(七) 以上の証人精進義美、同石沢修の各証言、石沢文規の供述記載部分、原告川原幸雄の供述その他前記関係証拠のうち、本件事故発生の状況、被告車と秋雄車のいずれが道路中央線を越えたのかについての部分は、事態を直接目撃していなかつたり、証言、供述の内容が首尾一貫せずあいまいな点があつて、証人米山義昭、同水野弘道の各証言、被告本人尾形弘孝の供述に対比し、かつ先に認定した二の6ないし8の事実に照らすと、信用性に乏しく、措信し難いといわなければならない。
3 以上によれば、本件事故は、緩やかなカーブである本件事故現場において秋雄車が道路中央線を越えて対向車線を走行していた被告車の進路上に侵入して被告車の右前部に衝突したことによつて発生し、さらに右衝突によつて被告車の右側前輪Uボルトとギヤボツクスが破損したため、被告尾形はハンドル操作の自由を失い、ハンドルを左方向に切り、かつ制動操作を施したが効果がなく、被告車を対向車線に侵入させ遠藤車の前部に衝突させたが、本件事故の発生が突発的であり、かつ右事故の状況からして被告尾形は右各衝突を回避しえなかつたものであることが認められる。
従つて、本件事故発生の原因は秋雄の一方的な過失にあるというべきであつて、被告尾形には、本件事故発生前の石沢車に対する走行方法の当否はともかく、本件事故に関する限り業務執行上及び運行上の過失はないというべきである。
四 前認定のとおり、本件事故の発生は秋雄の過失に基づくものであり、被告尾形には運行上の過失はなく、また、被告会社は被告車の運行に関し注意を怠らなかつたうえ、本件事故当時、被告車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつたものであるから、被告会社は自賠法三条但書によつて免責されるというべきである。
五 以上の次第であり、その余の点について判断するまでもなく、被告尾形には民法七〇九条の不法行為者としての責任はなく、被告会社には民法七一五条一項の使用者の責任も、自賠法三条の運行供用者の責任もないから、原告らの本訴各請求はいずれも理由がなく、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小野剛)